随想「稽古着と技」

以前、ここここに、日本の着物文化に関係する随想を書きました。主に、日本の今の着物は武術武道が育まれてきた時代のものとは違っているよね・・・普段の生活で和装するなら、今時の着物は着ていられないよね・・・と、書きました。

この記事を読み直していて、更なる気づきがあったので、今日はその話題を書きます。

武術武道の稽古着について、そして武術武道の技との関係性です。

現在合氣道の稽古で用いられる稽古着(道着)は、柔道着が戦後だんだんと合氣道に向くように変遷してきたものです。

合氣道では袖の裾を取ることがほぼなく、大半は手首捕りなので、柔道着よりも袖が若干短くなりました。
膝行をするので、股下の膝には当て布がつきました。
柔道にはない胸捕りがあるため、胸が補強されている場合もあります。
袴の脇あきから上着の裾がピロリするとカッコ悪いので、裾が長めになってきて、お尻が隠れるくらいあるものもあります。
そして、オリンピックなどを見るとわかりますが、柔道は大変激しい技の応酬があるため、大変丈夫にできています。合氣道着はそこまでの丈夫さが不要なため、柔道着よりかは薄手で柔らかです。とは言え、平服から見れば十分丈夫です。

合氣道着と柔道着には上記のような差がありますし、袴についても各武道で使う袴はそれぞれ特徴・違いがあります。

どの武道にも共通して言えるのは、現代では大変丈夫で機能的な道着がいつでもどこでも手に入ります。

さて、こうした稽古着が発達する以前、お侍さんは一体どんな衣装で稽古をしていたのでしょうか?きっと、着の身着のまま、対策しても袂が邪魔にならないように襷をかけるとか、袴の股立ちをとる程度だったのではないでしょうか?

普段の服すら使い回しや重ね着、サイズアウトしたらゆずったりゆずられたり、着れないほどのボロになればハギレに出したり雑巾にしたり、果ては焚き付けになったりしていたような時代に、武術の稽古のためだけにわざわざ専用の衣服を用意していたとは考えにくくはないでしょうか?

しかし、武術はそうした時代にほぼ流派・型が完成しています。

みなさんは、和服を着たことはありますか?縫製を見たことはありますか?
ちょっと油断すればほころぶし、ドアノブに袖口を引っ掛ければすぐ破れます。

そんな服で、現代柔道のような豪快な投げ技を打てるでしょうか?相手が抵抗するまでもなく、袖と襟だけが破れてしまい、相手は服が破けて褌一丁になって、投げを打った自分はひとりでもんどり打つのではないでしょうか?・・・・ちょっとその様子を想像して面白くなってしまいました・・・。まあ誇張ではありますが・・・。

合氣道なら、ガッチリ持たれた肩捕りを力任せに捌けば袖だけちぎれてしまいます。左右両方やれば、セルジオ・オリバです。リストを外されちまいそうです・・・。

さらに、現代の普段着であるジャージ生地などであれば、伸びてしまうので型取りなどの稽古には適さないと、ジャージ生地の胴着を持っている方もおっしゃっていました。

何が言いたいのか?つまりこうです。

「現代の武術武道の技は、昨今の道着の丈夫さを恃むことで、技や理合に変化を来しているのではないか?」

ということです。さらにこう言えます。

「武術武道の技というのは、もともと道着の丈夫さを恃まずとも、軽やかに持たれていても軽やかに捌き、軽やかにかけられるものなのではないか?そういう不可能ともおもえることができるからこその『術』だったのではないか」

何度も同じ技を稽古しますから、そこが補強されていくというのは分かります。しかし、丈夫な稽古着でなければ成り立たない技があるとしたら、それはその武術武道発祥の時点から考えると、大いなる変貌を遂げていると考えられます。

そこに視点を置いた稽古を考えるのも良いかもしれません。

精進あるのみですね。