随想「着物」

二十歳前後からたまに和装しています。最近は頻度も高くなってきました。単純に着物が好きというのもあるし、日本の文化に触れたいというのもあります。

着付けするのって大変ですよね。むしろ、自分で着れるという方は今はなかなかいないと思います。成人式や結婚式の時を思い出すとわかると思います。補正の名のもとにタオルを数本使い、一体何本使うのかと思うほど紐を使い、形を見ただけでは何の意味があるのかわからない小物(帯枕や帯板、コーリンベルトなどなど・・・)を使い・・・。

着たら着たで大変です。着崩れに気を遣うと、ロクに動けません。大股で歩く、腕を上げ下げする、後ろを振り返る、しゃがんだりたったりするだけでいとも簡単に着崩れして、美しいシルエットは台無しになります。
きちんと着付けてしまうと、ご飯もろくに食べられなくなります。おなかがきついですし、今の着物は正絹ばかりで汚せませんから。

私が着始めた時は、「まあこんなものかな」「慣れたらましになるかな」と思っておりましたが、最近いろいろと考えて、考えを改めました。
それは、「着物を着れば、武術・武道をが生み出された時代の人の身体的な条件に近づけるのではないか」と思って着物を調べ始めたのがきっかけでした。

よく考えてください。そんな、着るのに小道具が大量にいる、一人では着るのも大変、着たらロクに動けなくなる、汚れてもおいそれと家庭では洗えない・・・。そんな衣服を過去の人は普段着にしていたのでしょうか?

そう考えて歴史の絵巻物などを見てみると、目からウロコがボロボロボロボロ落ちてきます。

今の着姿のような着物は歴史の資料からは全く出てきません。歴史の絵巻物など見ると、みなゆったりと着物を纏っています。胸元などぶかぶかです。何重にも着込んでいたりします。袖の形状が今とは違っていたりします。帯なんか、今のような幅広の名古屋帯や太鼓なんてありません。昔は紐一本です。
どうやら、今の着物やその着姿というのは、歴史的にみるとごくごく最近形成されたもののようなのです。
そのあたりを紐解いてゆくと・・・

歴史的に庶民は質素な服装であり材料は草木の繊維でした。そんな布すらロクに手に入らないから、 季節で重ね着したりするけども衣服は何着も持てません。つぎはぎして直しながら使います。形が崩れたらほどいて直すし、サイズアウトしたら次の人に譲ったでしょう。ボロボロになったらつぎはぎや焚き付けの材料になりました。時の権力者は絹の豪華な服を着ており、布が貴重だから、布が重要な税金というか、財宝扱いだったりしました。これはもう歴史全体を通してですね。

そして着物の形もだんだん変わっていきました。過去の貴族が着ていた着物の下着がそのうち普通の衣服として台頭してきました。これが今の着物の原型である小袖です。時代的には江戸時代。
庶民の生活に余裕が出てくると、風俗文化が栄え、歌舞伎役者や遊女がファッションリーダーとなっていろんな形やいろんな柄、いろんな着方がはやってきたようです。
今の女性の着物にある「おはしょり」は、この頃の「おひきずり」という裾を引きずる派手な着物で外に出るときに、一時的にひもで裾を持ち上げた時にできるダブつきが元だそうです。
奢侈禁止令などがあっても、木綿に見えるけど正絹という紬がはやったり、襦袢や裏地に凝ったりと、文化が変容しつつ進化していきました。

こうした生活に密着した着物文化の流れが一変する時期が三度あります。一度目は明治維新、二度目は太平洋戦争、三度目は高度成長期です。

一度目、明治維新以降の脱亜入欧の流れで、ハイソな人を中心に衣服が徐々に西洋化していきます。しかし、着物はまだまだ普段着であり続けました。

二度目、太平洋戦争に際し、洋服に比べて動きにくい(これは今の私たちが着物に抱く「動きにくい」感想とは意味合いが異なります)和服は、有事に際してよろしくないと敬遠されるようになります。そして、敗戦。都市部は軒並み焼け野原、庶民の持っていた着物は焼けてしまいました。そしてかろうじて残っていたものも、物々交換や闇へ流れていきました。日本中のタンスから着物が本当になくなったのです。(逆に潤った人もいるでしょうけども・・・)もちろん、業界は大打撃どころではない大打撃だったでしょう。
そして世の中は復興の流れで高度成長期を迎えていきます。するとどうなったか?

三度目、高度成長期に際し、消滅の危機に合った着物業界は、着物を『ハレの日の贅沢な衣服』として高級路線でブランディングしていくことになります。つまり・・・

  • 基本的にすべて正絹となる。
  • もしくはすたれてしまったことでかえって希少価値が出たものがもてはやされるようになる。
  • 季節感を大事にという名目で、季節ごとの買い替えを狙う。
  • 格の概念を厳格化し、シーンごとに異なる商品を買いそろえるよう仕向ける。
  • そのために布の材質・織り方・染め方で差別化する。
  • しかし形状がいろいろあっては仕立てが手間なので、「形は一つだが、質で格が変わるんです」ということにした。
  • さらに、美術品ともいえる品に関しては、着た時の見栄えも大切(絵羽ものと言われる、着た時にひと幅の絵に見えるようになっているもの)なので、着姿すら統一を図った。
  • 着付けの方法を厳格化・ノウハウ化することで、着付け教室というお稽古事化して市場を開拓し、着付けるのに必要な小物を売ることにした。

などなどの「売るためのあの手この手」が考え出されていったのです。
上のリストをみて何か気づきませんか?そう、これこそが「着物はハードルが高いと言われる理由の正体」なんです。そうこうしていると着るのは大変になってきて、いつしか「着るものではなく持つもの」になっていきました。

第一、他人に気つけてもらわなければ着られない服なんて、どこの文化も婚礼拭くくらいのものです。しかも、習わなければ着られないなんてのもおかしな話です。
「着付け」という言葉がすでにそのあたりを表していて、本来着物を着るのは「ただの着替え」なわけです。

さらに高いハードルの中には、「自由な着付けをするとあれこれ難癖をつけたり勝手に手直しをしようとするオバサン」の存在があるのですが、実はそうしたおばさま方というのはちょうどこの高度成長期の流行にばっちり乗ってきた人たちなのです。
若い人たちには難癖に聞こえるアドバイスを投げてきたり、勝手に手直しをしようとする彼女たちには、実のところ何の悪意もなく、むしろ懐かしさに動機づけられた優しさしかないのです。

そんな着物の現状を考えると非常に切なくなります。

さて、武術・武道的視点の話に戻りますと、現在当たり前と思われている着物の在り方は、実は武術・武道が栄えてきた当時の服飾文化とは全く異なる次元にるわけです。
ですので、現在の着物の着方ではあまり武術・武道的に得るものはないのかもしれません。
ということに昨今気付いたわけです。
となると、私の着たいもの、動きやすそうなものというのは市場にありませんから、好きなように『作る』ということに相成るわけです。

読み返してみてなんと読みにくいこと・・・(苦笑
まあそんなこんなで、本当の意味での普段着としての着物を作ってきて遊んでいきたいなと思います。
ご興味ある方はいつでも一緒に遊びましょう。