随想「某電車内での傷害・放火事件のこと」

先日ハロウィンの頃に、都会の電車内にて仮装した男が人を刺した上に電車に放火するという事件がありました。
刑法犯罪や凶悪犯罪は減少の一途でありながら、時たまこういう事件が起こっては世間を騒がせます。
国力衰微の一途を辿る日本においては起こりうる事件でしょうし、今後は増えていくことも予想されるところですし、そんなこと関係なくいつでもどこでも起こりうる事件です。

この事件のニュースを見て驚いたというか呆れたというか、武道を嗜むものとして看過できない光景がありました。
それは・・・

人を刺し、血のついた刃物を剥き出しに持った犯人が悠々と歩き、逃げ出す人もいる中、スマホを見続け、イヤホンで耳を塞いだまま座り続けている人がいたことです。

少年部のみんなには、こんな鈍感な人間になってはいけないよときつく言いました。

武道を修行するのは、生きる力を養い、養った力でより良く生きることです。
凶悪犯罪が目の前で起こっていることに気づきもしないなどというのは、武道修行の目指すところと対極の極地です。

もっと言えば、犯人は抜き身の刃物を持っていたのだけれどハロウィンだからという理由で周りの人はちょっと変だなと思った程度だと言っておりましたが、いや、「ちょっと変」ではなくて「異常事態」でしょう?それがわからないというのは赤信号や一時停止の交差点を躊躇いなく爆進するようなものです。

しかしわからなくもないのです。
私も仕事などで年に1・2度、東京に行くこともありますが(今はコロナ禍なのでない)、そんな折り、普段の警戒心で周りに気を巡らせていると目が回るし吐き気もしてくるのです。人に酔うのです。

都会でそうした人酔いをしないようにしようとすると、無意識のうちにそうした動物的センサーをOFFにしないとやっていけないというのは、一理あるのですが・・・一理しかありません。
人間には内に外に、鍛えれば大変な精度を発揮するセンサーがあるのです。現代の人々はそんなセンサーを鍛えるどころか、あるということすら忘れているのかもしれません。

しかし私もまだまだ修行が足りません。都会で人に酔うというのは、センサーは敏感だけれども、心がそれに乱されているということです。不動心でなく、グラグラ心です。胆力がないとも言えます。

鈍感なのと胆力があって動じないと言うのは外見は似てますが、中身は全く異なります。似て非なるものです。
今の世の中は、鈍感でないとやっていけないような世の中なのかもしれませんが、私はそれに与するつもりはありません。

敏感だけども動じない。
まさに修行の目的の一つです。精進あるのみです。