随想「高専の思い出2」

私が高専の4・5年の頃、JABEEという認定を、母校が取る準備をしていました。JABEEとは、学校の教育プログラムを「技術者に必要な知識と能力」や「社会の要求水準」などの観点から審査して認定する機構のようです。

印象的だったのは、JABEEに対応するために教官方が非常に多忙になってしまったことと、ほぼ全ての教官の口から聞いた、「こんな認定を取ったところで、立派な技術者が育つわけがない」という、認定そのものが当初の目的(よい技術者を育てる)を達し得ないという予言でした。

事実、JABEEに対応して行く中で、私が面白いと思っていた授業がつまらなくなって行くのを肌身で感じました。いちばんそれを感じたのは歴史の授業でした。(専門授業じゃないのかよw)

当初の高専は、一般の高校とは組織が異なることから、高校向けの学習指導要領が適用されていなかった、もしくはかなり緩かったのです。それで、歴史の先生は、一般の教科書は一切用いませんでした。じゃあ何を使ったのか?映画や漫画、小説と、自前のプリントでした。

1年生での一番最初の歴史の授業は、美味しんぼという漫画の紅茶の回を読むことでした。そして、奴隷貿易の映画の鑑賞と続き、それらをもとに、大航海時代以降、西欧列強が諸外国に対し何をしてきたかを学びました。

それだけでもかなり衝撃的だったのですが、一番の極め付けはテストでした。なんと、一枚の風刺画が描かれたプリントと、白紙のプリントが配られ、「この風刺画から何を読み取るか?今期学んだ内容を絡めて白紙のプリントに書け」というものでした。

めちゃめちゃ楽しかった。今まで受けてきた歴史の授業なんて、歴史じゃないと思えるほどに楽しかった。しかも、自分が仕入れた豆知識を書くと加点してくれるんです。

そんな印象的な歴史の授業でしたが、先述したJABEE認定のための指導要領策定にあたり、よくあるつまらない授業になってしまい、学生からは大不評でした。その変わってしまった授業を受けたのは、私より下の世代ですから、本当に可哀想だと思ったものです。

その他にも、私は数学や物理が好きで、相対性理論をかじってみたいと数学の先生に持ちかけたところ、他に興味のある人を集めて、放課後講義をしてくれたこともあったのですが、そうした教官方個人個人の、学生に対する持ち出しの講義もJABEEに対応する中、時間がないということで無くなってしまいました。

学びたいと自発的に思い立ち、教官に掛け合って、教官が応じてくれる、そんな学びの理想とも言えるような活動を邪魔しておいて、このJABEEとやらはいったい何がしたいのか??というのが、当時の学生も教官も皆思っていたことです。いったいどこが主導してこんなことをしていたんでしょう?

先日随想に書いた卒業研究の話とも共通するんですが、学校って、教育を受けるものが学生になること、学びを起動することに1番の意味があると思うんですが、政治的な介入は大概その点を無視してくれているので、本当に迷惑だなぁというのが感想です。

まあ、この話も今になって思い返して意味が分かってきたということです。当初は私は真面目さが抜けていくというあまり褒められた生活ではなかったので(笑
でもまあ、こうして20年ほどして意味に気付けたのなら、あそこで学んだ意味はあったと思います。なるほど、教育というのは効果が現れるのが遅いことがある、というか、大概そういうものなんですね。

この随想を書くにあたって、母校のことを調べてみると、何年か前にJABEEは脱退したようです。実際どういった組織でどういった効果があったのかは分かりませんが、私は「よかったね!」と言いたい。伸びやかに、学びたいことを見つけてとりくんでほしいと思います。