随想「高専の思い出」

私は工業高専の出身で、5年生の時に卒業研究というものをしました。大学でしたら卒業論文なのでしょうが、卒業「研究」でした。

その卒業研究は言わば高専生活の集大成のようなものなのですが、高専生活5年を通して成績が右肩下がりだった(学業以外の遊びにかまけてしまった)私は、なぜか卒業研究の成績はクラスでトップで、それが密かな自慢でした。

研究した内容は、「オーディオ用真空管アンプの設計と制作」で、作ったアンプは、真空管アンプとしてはごくごくシンプルなものでしたし、発表内容にも回路設計のセオリー上避けるべき欠点もありました。にもかかわらず、全教官が評価して付けられた成績は非常に高かった。実はそのとこが不思議だなぁとずっと思っていたのですが、最近何となく理由がわかってきた気がするので、この随想に書くものです。

実は高専5年間では、論文を書けるほどの研究はできなければ、論文を書くほどの能力も開発されないし、そこまでのことはそもそも謳われていません。理工学系の人間として「入口に立てるよう、基礎的な知識を学び、レポートを書けるようにする」のが目標です。

ですので、卒業研究とは言いながら、本当に世にも新しいことを研究するというような事はあまり無く、毎年同じテーマの実験などを、その時の学生が追試し、ちょっと工夫をするというようなものが多数なわけです。例えば、パソコンを用いた物理シミュレーションとか、倒立振子の制御とか、多少違えど、毎年同じレポートが人を変えて出てくるわけです。

5年生の初めに、何をテーマにするか決めるわけですが、教官によって扱うテーマが最初からいくつか用意されていて、それを学生が選んで行くわけです。教官にとっては、どのテーマもほとんど答えが出ていて、あとはそこにちゃんと学生がたどり着けるか?とかレポートに論理的に矛盾がないか?とかが評価ポイントだったんでしょう。

そんな中、真空管アンプの設計制作というテーマは、当時オーディオにハマりつつあり、オーディオ機器の分解・改造をやりたいがために、町のクリーンセンターから壊れたオーディオ機器を持って帰ってきていたような私が、自分の部屋で使う真空管アンプを作りたい、どうせ卒業研究があるならそれをテーマにしてしまえばいいやと、自分で選んだテーマでした。

当然、元々のテーマとして用意してくれている教官はいませんでした。そこで教官方に「真空管アンプが作りたいんですが、詳しい先生はいないですか?」と聞いて、とある教官がひきうけてくれたのです。その教官も元々はラジオ少年だったそうです。

その教官はコレを作れとかアレをしろとか、いっさい指示はされず、「私はこれらの本で勉強して作った。こっちの本も参考になることが書いてある。自分で読んでやってみて、わからんかったら聞きにきなさい」とおっしゃって、いくつか本を紹介してくれただけでした。

そしてまあよもよもやって、アンプはなんとか完成して、レポートは提出日前に徹夜して仕上げて間に合わせたわけです。発表会では完成したアンプでBGMを流しながら発表をしました。

発表会で複数の教官が聞いてきたのは、「産声はきいた?」と「なにか苦労したことは?」で、答えたのは「盛大な産声を聞きました。苦労したことはヒーターアースを取り忘れて、盛大にハムが出たことで、原因にたどり着くだけで1日かったこと。」でした。大笑いしてもらいました。これはやったことのある人でないとわからないネタだと思いますが。

私の卒業研究が意外と高評価だったのは、「自分のやりたいことを自分で見つけたこと」とか「教えてもらうより自分で調べて、拙いながらもなんとかしたこと」とかが評価されたのだろうと思います。話は変わりますが、我が母校では入学式に「君たちは学生として生活してもらう。高校生は生徒だが、同い年であっても君たちは学生です。その違いを意識して生活しなさい」と言われました。まさしく卒業研究のときに私はちょっとではありますが学生っぽく在れたのかと思います。だからこそ、あの成績だったのだと思います。

また、研究の担当教官を引き受けてくれた先生が、我々の卒業の際に送ってくれた言葉も印象に残っています。

「君たちはこの5年で、何か学問の真理や深淵を学んだわけでも達したわけでもない。むしろ、学問の入口に立つ準備をしただけだ。それはなにか?『勉強の仕方を学んだ』んだ。そこは思い違いしないようにしてください。」

平岡教官

少し続きます