随想「とらわれ・・・」

トラ割れ・・・Why tiger brake in two? いやいや・・・「囚われ」です。

武道を稽古していると、「相手に囚われるな」とか「敵の武器を凝視してはいけない。囚われるから。」とか、よく言われます。合氣道でもよく言います。僕も指導の時にほぼ毎回言ってる気がします。

しかしこの「囚われる」というのは、語感がちょいとよろしくないんですよね・・・。

「囚われる」と聞くと、自分や自分の心が何かにつかまっているような感覚になりませんか?私はなります。相手が私の心をとらえた・・・相手の武器が私の心をとらえた・・・。自分が何かされた、受動的な状態を思い浮かべてしまいます。

しかし実際は全く逆で、「対象をとらえてしまっているのは自分、自分の心」なのです。自我が対象を掴んで離さない。ということです。これがまさに執着(しゅうじゃく)というものですね。

自分が誰か・何かにどうにかされてるんじゃないんです。どうにかしてるのは自分なんです。

そこにまず気付くのが修行の第一歩かと思います。

まあ、気づいただけではまだ自分と自分以外と言う二元対立の概念からはまだ離れられていませんが・・・。

発想の逆転的な感じですが、修行はまさにこれの連続でして、逆転どころか考え方そのものがそもそも違ってました、ということがザラですので、いやぁ、楽しいもんです。