随想「姿勢」

先日、黒川先生のところで稽古納めをしてきました。こちらではコロナで稽古をお休みしているため、久しぶりの稽古でした。

そこで、ある方が、「最近、前以上に姿勢の大切さを感じている。」と言っていて、具体的には「自分では反り腰だと思うくらいグッと腰を立てた方が技のかかりが良く、しかもその姿勢は他の人に見てもらうと、反り腰ではなくまっすぐだと言われる。」とのことでした。

実際、その姿勢で捕りをしてもらうと、とてもきもちよく技が効きました。

この随想コーナー最初の記事が「自然体」についてでしたが、まさにそこで書いた通りの話でした。というのも、素人が真っ直ぐ自然に立ってもそれは武道でいうところの自然体にはならない。稽古をしっかり納めてきた人がやがて会得するものが自然体だという話でした。

私も、三段あたりから自分の姿勢を見直し始めました。稽古中の姿勢もそうですし、普段の生活の姿勢もそうです。自分はもともと姿勢が悪かったので「自分が今の練度で楽な姿勢なんて、きっとろくなものではないだろう」と踏んでのことでしたので、その自然体に対する認識が割とすんなりと体に馴染みました。

先にお話しした方は、「自分ではやりすぎと思う反り腰」がよいと言っていましたが、私の場合は「胸骨の剣状突起を前方上部へ一寸引き上げる」という意識・姿勢のときが一番よいものでした。どうも、この意識は人によって異なるようです。

この違いはつまり、人によって癖(とも思っていない癖)がそれぞれ違って、身体に対する意識(とも思わぬ意識)も異なることに起因するもののようです。

癖とも思わぬ癖、意識とも思わぬ意識、まさに「我」のことなのかもしれません。そしてそれを稽古を通じてあるべき自然な姿に整えてゆく。禊いでゆく。稽古の重要な眼目の一つだと思います。

となると、私の「剣状突起〜」のアドバイスはかの方には有効ではないと言えます。かの方の「反り腰と思うほど〜」のアドバイスも私にとっては有効ではない・・・のかもしれない。どうも身体に関するアドバイスはアドバイスを受けた当人にとってのみ有効なのだと、いっそ割り切る必要が有るのかもしれません。

精進あるのみですね。←久しぶりに言った。