随想「力の使い方」

先日はかなり観念的なお話だったので、今日はちょっと技術的なお話を書こうかと思います。

合氣道ではよく「力を抜け」と言われます。ですが、脱力してふにゃふにゃになると、そもそも物理的に動けないので、技になりません。じゃあ、どういうことかというと「(無駄な)力を抜け」ということなんですね。

なるほどぉ!と思ってもまだ先がありますよ!社長さん!
無駄な力と、必要な力の違いって何?ってことですね。

私が最近思っているのは、必要な力とは「姿勢を保ったり、動いたりするのに必要最小限な力」のことで、それ以上に身体を固めたり、相手を押したり引いたりしようとする力は無駄な力だということです。単純な様でこれが難しいわけです。

体全体で少しずつ力と動きを分散させなければいけないものを、腕だけとか足だけとか、腰だけとかで力を出したり動いたりとすると、力んでいる箇所が受けにすぐ伝わるし、動きもバレバレになって、すぐに受けに止められてしまうんです。

あと、力と動きは不可分なものです。力を使うから物体が動くと、普通の人は考えますね。まあ、当然ですが。でもその意識ではあまりうまくいかなかったりします。ある動きを意識することで、力が発生するという、力と動きの因果が逆転したような発想が必要です。

例ですが、両手でゴム紐を胸の前に持って、左右に伸ばす動きを考えましょう。

普通に「ゴム紐を左右に引っ張って伸ばす」のか?「ゴム紐はとりあえず無視して、右手を右に、左手を左に動かすことで、ゴム紐が結果的に伸びた」のか?この違いがわかるか否か?感じるか否か?です。両者を同じものだということもできますが、いや、違うと看做す目というものもあるわけです。こうした意識を全身に及ぼすわけです。

私はよく稽古で皆さんに言います。

「投げたんじゃないんです。結果的に倒れただけです。」と。

おおん、今日もやはり観念的な話になってしまった・・・。