随想「頭の下に体がぶら下がっている」

今回は最近意識している姿勢に関する技言葉について書いてみたいと思います。

稽古を少し積んでくると、掴まれた時に踏ん張ることでなんとか、びくともしなくなって、よしよしと思う時期・段階があります。しかしその状態は、相手はこちらを動かせないけれども、自分も自分を動かせない、いわゆる居着いた状態になっています。そのうち、その状態が気に食わない、なんだか違うと思う、いずいなぁと思うようになります。(と書くと語弊がありますかね?私はなりました。)

踏ん張っていると、自分はしっかりした手応えがありますから、なんだか安心するんですよね。でも、そこから技をしようと思っても、動けない。動こうと思うと、ぶつかったり、動作がワンテンポ遅れたりする。これは居付きそのものです。

贅沢を言うなら、自分は手応えなんて感じていなくて軽やかに動けるんだけれども、こちらの手を取っている相手はとんでもなく重いものを持たされたように居着いてしまう。そんな状態にならないかなぁと思って稽古を続けていました。

そんな二律背反するような都合の良い状態ができるかいな!?と思いますが、そういう命題に取り組み、可能にするのが武道・武術の醍醐味です。だって、先生や師範はまさにそんな感じで動いてらっしゃるのですから。

二律背反を真っ向から背負いつつ解決するといえば、居合などはその際たるものです。九寸五分の小刀を突きつけられた状態から、鞘に収めた三尺三寸の大太刀でもって如何に処するか?と言う命題を解いたのが居合の始祖である神無想林崎流の林崎甚介です。

話が脱線しました。最近そんな居着きに留意した稽古が少しずつできるようになってきたのですが、その時の状態が、タイトルにしました「頭の下に体がぶら下がっている」と言う技言葉です。

地面から上に身体が積み上がるのではなく、風船とヒモのように頭の下に身体がぶら下がっているイメージです。そのイメージですと、居着くような踏ん張りというのは全く望ましい状態ではないと言うのが体感できると思います。

あまり言葉で説明してもしょうがないのが技言葉ですから、ぜひやってみてください。