前回の随想で、更新頻度が上がるかもと言ってしまったので、実際頻度を上げてみます(笑
随想コーナー公開の経緯と理由
実はホームページを作ろうとした当初、この随想コーナーのように、私の個人的な書物をのせる計画は、ありませんでした。
と言うのも、「合気道に限らず武道の技法や感触、またその妙奥というものは、口や筆で表せるものではなく、ひたすら修行者の実体験に基づくほかないものだから」という事と、「こと武道・武術に関する事、口は災いの元となりやすい分野であるから」という、主に二つの理由からでした。
ですが、以前の随想にも書いたように、日記などの文章をノートなどで書き記す様になったんですが、そのあたりから、「頭で考えるだけでなく、実際文章にしてみることの大切さ」に気づき、ホームページ上にも公開する様になりました。
実際文章にする大切さ
これは、言い方を変えると、「アウトプットする」という事と同義です。
頭の中で考えていることを紙と鉛筆で文章に書き出してみて気づくのは、「頭では色々考えているはずなのに、全く文章に出来ない」ということです。文章に出来ないということは、他人に伝わらないということです。他人どころか、時間を置くと自分ですらわからなくなります。これはつまり「何も考えられなかった」事とほぼ同義です。これでは意味がありません。
そしてなんとか頑張って文章化したとして、それを読み返してみるとまた気づきがあります。それは、「俺の思考ってこんなに偏見に満ちているのか・・・」という、絶望というか衝撃というか、そんな気持ちです。そしてそれは、文章化するまで気づいていないのです。
例えば
文章を書いていて、「○○は××だ」という様な文章が出たとします。書いている瞬間は何の疑問もなく書いているのですが、ある程度書いた後に読み返すと、「ほんとかいな??どこにそんな根拠があるんだよ・・・」とか、「一体いつの時代の話してるんだよ・・・」などと、自分で突っ込んでしまうのです。
人間の思考が、無意識のうちに如何に認知バイアスに侵されているかがわかります。(ですが、認知バイアスは人が生きていく上で必須の能力・本能でもあります)
出来の悪いレポートを読まされた気分とはまさにこんな感じなのかなぁ・・・と思うし、世の中の文章を書く仕事の人々はすごいなぁ・・・とも思うし・・・。
意義「書かなければ考えたことにならない」
結局、そういうことなのです。頭の中で考えるだけでなく、実際書いてみる。そうするだけで「自分で気づいていなかった自分の問題点」が浮き彫りになりますし、それを潰していくことで、思考はどんどん深まっていき、よりよい思考になっていきます。
本来「考える」とは、そう言う事なのでしょう。会社の上司や学校の教授が言う、「考えろ」と言うのは・・・。
さらに、自分しかみないノートにそれをするだけでなく、誰かに見せる、誰かが見ているかもしれないと言う場所にそれを表現すると言うことは、さらに「本当か?これでいいのか?」と言うフィルターが強くかかるため、より思考に磨きがかかります。
結局、書いていることが本当かどうかと言うよりは、書くこと、表現することそのものに意味があると言うことになってきます。
変化していって当たり前
気づいた人がいるかもしれません。
この随想コーナーは思考のためのコーナーなのです。ですから、昔書いていた事と、現在私が考えている事、やっている事、言っている事が違う可能性があります。それは私が成長・進化した証です。
世の中、すごい人ほどその進化のスピードは早く、ぼんやりしていると置いていかれてしまいます。果ては「あの時と言ってることが違う」などと言いがかりを付けてしまうこともあります。気をつけなければいけません。
書くにも読むにも、精進あるのみです。
格言にあるよね・・・
下手の考え休むに似たり。
まさに、今回書いた様なことを言い当てた様な格言です。