随想「指導」

当道場初初段

先日9月22日の師範稽古で、当道場第一号となる初段合格者が出ました。道場としては足掛け5年の結果です。
作文、読んでいて泣きそうになりました。私は涙もろいようです。(笑

師範は合氣道のことを、武術ではなく武道でも足らず、武産合氣であり、それは「生き方」である。とことあるごとにおっしゃいます。

私はその言葉を胸に稽古していますが、いったい私はどんな生き方を門下生に示せているのでしょう?
自分のことを一番わかってないのが自分です。灯台下暗しというか、鏡がなくては自分の顔を見れない様なもどかしさを感じます。

先ほど、足掛け5年と言いましたが、個人的には一瞬というか、5年もかかった気がしません。気が付いたら過ぎていたと言っていい感触です。でも、稽古は漫然とした覚えはありません。その時その時は集中して稽古していたと自負しています。(内容が拙いとかはさておき・・・)

どんな稽古だったでしょう?なにを言ってきただろう?筆舌では表せません。ただ、「できることをできるだけやってきた」としか言えません。若輩ゆえ、内容は稚拙というかまとまりがないというか、そこのへんは自分が一番わかっています。ただでさえ分かりにくいことを小難しく言う性格で、さらに時が経てば言うことが違うなんてこともあって、門下生の皆さんには本当に申し訳なく思っています。

ですが何より、門下生は「なんとか学ぼう」としてくれています。そして、私は「なんとか学んでほしい」と思っています。きっと、その両方が揃ったから、今回の初段になったのだと思います。

これぞきっと、啐啄の機と言うのでしょう。

ああ、きっと、「何を(what)」じゃないんです。「どう(how)」なんですね。

何を大げさな、そんなことを語れるほどの歳でもありませんが、そんな気がしました。

先ほど鏡がなくては・・・と言いましたが、きっと門下生が鏡なのだと思います。それは肝に命じて稽古してきましたが、今後はさらにその意味に実感が伴うことと思います。

まとまらなくなってきました(笑
大切なことはまとまらない。むしろ発散する。しかしそこには一本の真理がある。はず・・・

今日はこの辺で・・・。

初段、おめでとうございます。そして、ありがとうございます。
これからも皆さんと、明るく楽しく稽古していきたいと思います。