何度もこの随想で書いていますが、私は工作が大好きです。木工もするし電子工作・電気工作もするし、必要とあらば金属加工もするし、溶接機も欲しいし、なんなら日本刀鍛錬とかもやりたいし、時間があってタダでできるんだったら(←え?)なんだってやりたいです。
そう考えたら工作に限らず、「何でも自分でするのが好き」なんだと思います。大金を持っててもこれは変わらないと思う(たぶん)ので、貧乏性なのではないと思いたいです。(笑
オーディオだったら、オーディオマニアさんが絶賛しているスピーカーとかアンプとかケーブルとかを買うよりも、工作用のパーツや道具を買ってしまいます。
家具が欲しいなと思ったら、ネットで大体のデザインを見た後は板材の値段を調べたりどんな工具・工法なら作れるだろう?と考えてしまいます。末期になると、あの工具があれば、あの工法を使えばあんなものがつくれる!と、目的と手段が逆転してきます。手持ちの道具を活用したいがために、工作物が増えるのです。困ったものです。
お金で物を買って解決というのは、手っ取り早いけどもあまり面白味を感じないし、あーでもないこーでもないとやるのが楽しいというか・・・。
自分(知っていること・もっているもの・できること)と自分の外(知らないもの・自分にないものや足りないもの・できないこと)の間でもがくのが面白いんですよね。
だからかどうか分かりませんが、私は自分が現在進行形で取り組んでいることに関する疑問は「人に全然聞かない」んです。
「人の話を聞かない」んじゃないですよ?「この問題は自分で解きたい。金やコネや何やでショートカットするのは俺の矜持が許さん」と言ってるんですね。あれですよホラ、小さい子供が扉を開けようとヨチヨチしているのを、良かれと思って開けてあげると「自分で開けたかったのにー!!」ってギャン泣きするやつ。
聞かずに考える。調べる。お酒飲んで寝て気分転換したり、何なら数年他ごとに興味が移ったあとにまたやってみたり・・・。そんな塩梅だから進捗は遅々としています。
私は自分のこの性分が難儀なものながらも、合氣道とマッチしているなと常々思っています。合氣道というか、修行ですね。私にとって合氣道は修行なので。
本当は合氣道でも師範や先生、道友に聞きたいことというのはたくさんあるんです。多分聞けばしっかり教えてくれるだろうし。でも聞かない。聞いたら負けかなと思ってる。
聞かずにやってみる。考えてみる。目を皿にして見取りする。そして何より受けを取る。自然としてくれる話はしっかり聞く。
そんなこんなでずっと続けてるわけです。まさに修行あるのみです。