随想「受け2」

前回の随想で受けについて書きました。

受けが心得るべきことを書いたのですが、ちょっと詳細な内容にかたよっていたので、補足を書いておこうと思います。

そもそも受けをなぜとるのかということです。

前回、正面打ち一教の受けで背中を向けて逃げるのは、モウドウニモシテクダサイと言っているようなものと書きました。
つまり、そのまま捕りにボコボコにされるような状況になってはいけないということです。(もちろん捕りも合氣道としてボコボコにすることはないのですが)

踏ん張るのもいけないと書きました。踏ん張るというのは居着くということです。居着けばやはりボコボコにされますし、もし本当に手練れの剣術が相手だと、居着いた瞬間に切られてThe ENDです。だから居着くこともできません。

受けは「やられてしまう」ことをさけなければなりません。つまり、受けは「取るもの」なのです。

もちろん、反撃が可能ならばそれも選択のうちです。そう考えると、受けは選択肢の一つ。「採るもの」とも言えるかもしれません。

だから、稽古の際に自分の番(捕り)が終わったからといって漫然と握ったりやられたりしていてはいけません。

そうした受けがあればこそ、捕りと受けは「刃物の刃と砥石」の関係になり、「切磋琢磨」できるようになります。

精進あるのみですね。