随想「知之者不如好之者 好之者不如樂之者」

少年部では、稽古の〆に素読をしています。漢詩や日本の古文をみんなで読んでいます。文章は読み下し文にしようかと思いましたが、あえて白文にしています。素読は音で覚えるもので、子供たちの記憶力は私たちの及ぶものではありませんから、だいたいひと月でひとつの課題ですが、みな難なくやってのけます。

で、また私がうれし気に筆で素読の課題を大きな紙に書くわけですが、実は私、ちょっと前までは字が汚いのが取り柄?チャームポイント?と言えるほど字が汚かったのです。字を書くよりも書きたいことが湧くのが先で、手が発想に追い付かずに、字が汚くなる手合いで、由緒正しい「ミミズがのたくったような字」をしていたのです。当然、親からも先生からも「お前は字が汚い」とさんざん言われて育ってきたクチです。

特に学校の習字は苦手でした。習字では、紙と字の大きさに対して線が細すぎて、すごいバランスの悪い字を書いていました。字の上手な子たちのどっしりとした字を見て、どうすればあんな風に書けるのかといつも思っていましたが、実は意外なところにその原因があったんです。

なんと、初めて習字をするときに先生が太筆の根元をタコ糸で縛ってしまっていたのです。

私はつい最近まで知りませんでしたが、皆さんならお分かりになると思います。太筆は全部おろして使うもの、タコ糸で根元を縛るのは細筆です!そりゃ、太筆でもほっそい字になりますよ。穂の形を使った点や線やはね、払いなんか書けません。そんな筆を渡せば弘法さんも筆をへし折りますよ。

大人になってから、何かの拍子に「太筆は全部おろすもの」と知って、さっそく家にあった小学校時代の習字道具の筆のタコ糸を解き、ぼさぼさに下ろして書いた時の衝撃と言ったらありませんでしたよ。(字は汚くても習字自体は好きだったんですよ。あの匂いや紙や墨の感触とかが・・・)

筆をトンと紙に下ろしただけで点が書けるんだ!
そのまま横に引けば太くていい線が引けてる!
とめもはねも払いも、全部筆の弾力で書けるんだ!!!

線で字を書くんじゃなくて、穂の面や立体でもって字を書くんだ!!!!

それに気づいてからは、筆で落書きするのが好きになったわけで、気が付けば普段の字もまあ読むにも耐えるものになっていきました。字がうまくなってくると、鉛筆だろうがボールペンだろうが、字を書くのが楽しくなる。気が付けば日記をつけるようになり、感情が字に現れることにも気づき、このホームページの随想を書くきっかけの一部にもなっているわけです。

私の字の下手さの原因って、一体何だったんでしょう???
そう、誤りと呪いだったんです。
つまり私は習い始めの時の「誤った教え」と、それによる下手さ(上手くなりようがない)を周りの大人からさんざんいじられた「呪い」によって、字が下手だったわけです。

「みんなが言うんだから自分は字が下手なんだ。事実みんなより下手だ。上手くなりっこない・・・」

そう無意識に自分で思っていたし、そうである自分に自分で居着いていたわけです。ある意味アイデンティティになっちゃってたんですね。

でも私は気づきました。
やり始めの上手い下手は多少あれど、好きになれば上達する。
やり始めの上手い下手よりも、好きになれること、楽しめること、それが大切。
正に、

知之者不如好之者、好之者不如樂之者。 

之れを知る者は之れを好む者に如(し)かず。
之れを好む者は之れを楽しむ者に如(し)かず。

(論語・雍也第六)

というやつですね。
だから、私は少年部の皆に(もちろん一般部のかたにも)、いらぬ呪いをかけないようにしようと心に誓っているのです。

ちなみに・・・

弘法大師空海は「弘法は筆を選ばず」のことわざにもある様に、どんな筆でもしっかりとした字を書かれたそうですが、自身が使う筆は非常に拘って厳選したものを使用していたそうです。
このことわざを、「子供が何かをしようとするときに、安物で済ませようとする説得の方便」として使ってはなりません!
グサッ!!バタリ・・・(自滅

ちなみに・・・2

私は字を書くのは好きになったし、マシになりましたが、文才はありません。これは確かです(笑
小学校時代の読書感想文なぞは、書き始めはよくてもいつの間にかあらすじ紹介になり、果ては本の文章の丸写しに移行してゆくという、出世魚も真っ青の変幻ぶりでした。
小学校の卒業文集も他のみんなはまともなことを書いてるのに、私だけ意味不明な作文をおよそ文節ごとに読点を打って書くという、いちねんせいも、まっさおの、さくぶんでした、まる
そうですね、まさに、こんなぶんしょうを、書いていたと、思いますまる
ふぐぅ・・・