随想「相手の力を利用する・・・」

自己紹介で合氣道をやっていると言うと、「合氣道って『相手の力を利用して』技をかける武道ですよね!?」と言われたりすることがあります。また、ネット上などでも、そのように説明をしているようなサイトもあります。

ですが、個人的には習い始めて結構早めのころから、この『相手の力を利用する』というフレーズが出るたびにもにょもにょした気持ちになってきたものです。

言わんとしたいことはわからないでもないのですが、「(敵対する)相手と自分」という二元対立的な雰囲気と、「利用」という利己的な雰囲気が受け付けなかったわけです。

合氣道には周知のように試合がありません。競う必要もなければ、誰かを倒す必要もありませんし、それを目的とはしていません。表面上、凶漢役と成敗役に見える受けと取りの関係も、まったくそんな関係ではありません。邪悪な敵と聖なる剣の関係ではなく、刃物と砥石の関係です。お互いがあって、お互いを磨きあうための稽古です。もしくは、自分がまっとうに動けているかを確認するための、自我と鏡のような関係です。相手も自分もそこがわかっていなければ稽古は成り立ちません。

さらにレベルが上がれば、私がどうとかあなたがどうとかいったそんな概念があいまいになってゆき、お互いを包摂する概念を知り、感じ、身に着けて行くことを是とするようになります。であるがゆえに、「相手と自分という二元対立の考え方」も「利用などという功利的な考え方」も適切とは言い難いのです。

習い始めたころは言葉にはできませんでしたが、当初から抱いていた違和感は間違いではなかったようで、そのあたりの感覚・イメージを他人に説明するための言葉がようやく自分の中にできてきた気がします。