随想「稽古照今」

武道や日本の習い事では「練習」とは言わずに、「稽古」と言うのはイメージできると思います。何となく日本っぽいイメージがしますからね。さて、じゃあ「稽古」って何でしょう?単純な言葉ほど意味って説明しにくいですよね。チコちゃんに叱られそうです。

稽古は字の意味として、古(いにしえ)を稽(かんが)えるという意味があります。日本のお稽古事はまさしく古から続く技術や文化を鍛錬していくものですね。その際に、惰性で行わずに考え(稽え)ながら行うことが大切です。

さて、当HPのサブタイトルともしている『稽古照今』という言葉があります。稽古は先に説明しました稽古です。照今は、「今に(を)照らす」と読み下します。四字熟語全体としては「古を稽え、今に照らす」となります。

この熟語は古事記の序文が初出で、「古を稽(かむが)へて風猷(ふういう)を既に頽(すた)れるに繩(ただ)し、今に照らして点教(てんけう)を絶えむとするに補はずといふことなし。」と記され、当初乱れ始めた世を正すために古より今に続く神話としての古事記が編纂されたことが書かれています。

私は合氣道の稽古もまことにこの言葉のようなものであると思います。

合氣道の技そのものは昔からあるものです。いろんな古武術など見ていると、形の似たものはいくらでもあります。人の身体は今も昔も変わりませんから、人を対象とした技術が似通うのも当然です。しかし、それを今なぜ稽古する必要があるのでしょうか?型に関するコラムでも書きましたが、考古学的な意味だけでは意味がありません。やはりそれを通して今の世、今の自分の生き方を照らし、反省しなければいけないでしょう。初めに稽古は惰性ではなく考えながら行わなければならないと書いた通りです。

合氣道の精神である、ぶつかってぶつからないという考え方、結びという感覚・考え方。我を張るのではなく、相手と自分がお互い変化して新しい何かが生まれるという考え方・・・考えれば考えるほど、合氣道の精神・考え方は、人が生きていくうえで大切なことばかりだと思います。そしてその精神・考え方を技として体現できるのが合氣道の素晴らしいところだと思います。

技で素晴らしい精神を学び体現できるようにする。その精神と身体をもって生活に臨む。これが合氣道における『稽古照今』の意味であると考えます。

精進あるのみですね。