随想「護身術」

たまに見学や体験の方がいらっしゃいます。不思議と皆さん当道場となじみのよさそうな方が多く、ご縁のありがたさを感じます。

さて、見学や体験では護身術について質問されたり、ご興味がある旨を伝えられたりします。合氣道は武道ですから、当然といえば当然です。かくいう私も実は護身術的な何かをやりたいという理由で合氣道の門をたたいた口です。「きっかけ」は何でもいいと思います。

護身術というと、一般的には暴漢に襲われたときの、手の振りほどき方や急所の攻め方などが紹介されるように思います。そういった本や動画はたくさんあります。ですが、私は初めに必ず、「生兵法はケガの元と言います。襲われた時の対処法をちょっと習っただけで実際使えるようになるとは思わないで下さい。」と、お伝えしています。

武道が型稽古として、相手に襲われそれを制するという形を採用しているのは、実戦の訓練のためではありません。絶体絶命と思えるような状況を覆すために、どのような身体やその使い方が必要なのか、その理論を学ぶために型稽古をしているのです。
ですが、一般的・表面的には実戦の訓練に見えてしまうことが、一般的な方と修行者の認識の相違の元になっているのではないかと思います。

では、護身の方法はないのかというとそうではありません。小学校で習った、

  • 危ないといわれているところには近づかない。
  • 夜遅く人気のないところをあるかない。
  • 知らない人についていかない。
  • いざというときは大声を出して全力で逃げる。

これが最強の護身術です。

そんなこと誰でもできる!と思いましたか?でも、実際はできないのです。できないからこそ悲しい事件が世間を賑わしているのです。学校の発表会や会社のプレゼン程度で緊張してアガってしまうような人が、いざ命の危険というときに普段通り落ち着いて呼吸をして大声で叫んで足を動かして逃げられるでしょうか?できないのです。だからこそ、思い上がりを捨て、謙虚さを持って生活すべきなのです。

武道を護身術として認識するのであれば、この「自分の身の程を知り、身の丈に合った生活をする」ことと、型稽古を正しく積むことでだんだん備わってくる、「危ないものを危ない、怖いものを怖いと正しく認識する能力」にこそ意味があるのではないでしょうか?

精進あるのみですね。