随想「言葉によって変わる意識」

最近カメラでの写真撮影が楽しくて、スナップ写真を撮ったり、星空の写真を撮ったりしています。前回の投稿もそのうちの一つです。

写真を撮る際は、低めにカメラを構えるといい塩梅になることが多く、昔やっていたイラスト制作で言えば、「アイポイントを低くする」ということに該当します。

これは写真撮影の場合は、「ウェストレベルで撮影する」と表現されます。これは、昔のカメラが大きなファインダーを上から覗き込む形だったから、ウェストの位置にカメラを構えていたことにも由来します。

しかし私はこれを、「子供の目線で撮る」と考えています。

アイポイントを低く・・・とか、ウェストレベルで・・・と言われると、それはカメラを低く構えるだけのテクニックのように捉えられてしまいますが、「子供の目線で」と言われれば、カメラを低く構えるということに加え、「子供だったらどんなものを見るだろうか?」とか、「自分が子供の時どんなものをよくみていたか?」とかいった、撮影者の子供観や子供心が反映されますので、それはテクニックを超えた感情をも想起させる、よい【技言葉】となります。

武道を稽古していると、さまざまな技言葉に出逢いますが、あれらは実は「テクニックを超えたものを如何に想起させるか?」という先人の知恵なのかもしれません。

もし仮にそうであれば、そうした言葉は受け取り手によって解釈が変わるため、その人専用のアドバイスとされ、「指導の又売りはよろしくない」とされるのも納得です。