随想「身体からのサインを感じる」

合氣道の稽古は生きる力を高めるためのものですので、自分にも相手にも気持ちの良い状態・無理のない状態を作ることが大切です。(馴れ合いのゆるい稽古をすると言う意味ではありません)

じつは昨年春に初めての部署に異動した後、夏から職場が急激に人手不足となって、環境が悪化しました。

全く経験のない部署で周りに多少の助けをもらいながらもなんとか仕事を回していましたが、ストレスから日に日に心身がおかしくなっていくのを感じていました。

体は緊張型の凝りや痛みに悩まされ、心はどんどん鈍く濁っていく・・・。

たくさん仕事はあるし、抜かりの許されない仕事が多いのですが、ミスがどんどん増える。このHPの更新もどんどん疎かになる。

朝どんどん起きれなくなってくるし、出社時間がギリギリになってきたり、急に体調を崩して休んだり早退したり・・・。

職場の産業医には「抑鬱状態が心身症状に出てきているので、このままだと危ないですよ」と言われました。

ただそんな中でも、合氣道の稽古に来ている時だけはとても楽しく、身体が楽しんでいる・喜んでいるのを感じていました。

ですので、「合氣道に行きたくない、やってても楽しくないと思ったらおしまいだろうな」と、そこを限界の目安としてなんとか乗り切ろうと思ったし、「そのあたり相当客観視ができているのはすごい」と産業医にも褒められたところです。・・・褒めてんのかな??

そんなこんなでやっとこの3月で人手が回復しました。まだ無理はできませんが、体力・気力を回復させたいところです。

さて、いよ小松道場は、小さいながらもとても心根の優しい正しい方々が集ってくれています。今回の仕事の難所を乗り切れたのは、「自分の身体の声に耳を傾けることができるような稽古を積ませてもらった」、まさしく道場の皆さんのおかげと思っています。

そこで、冒頭の一言に戻るのです。

稽古をしていて、嫌な気持ちになるとか、来んけりゃよかったなんて思うような稽古をしていてはアカンということです。自分も相手もです。

人を嫌な気持ちにさせる稽古をしてはいけないし、受けにせよ取りにせよ、相手と自分の身体の声を聞けるようになることを是とすべきです。

さて、めちゃくちゃ久しぶりに随想を書きましたが、やはりまだ頭の回転が戻っていません。まあ、もとよりこの程度のものだという向きもあるのですが、のんびりやらせてもらいます。