随想「同調と調和」

先日の随想で、ノーベル物理学賞を受賞されることとなった真鍋教授のことを取り上げました。

そこでは、「日本人は調和を重んじるが、私は調和を重んじる生き方ができないから、日本には帰りたくない」旨の発言に胸を痛めたわけですが、もう少し掘り下げて考えましたので、そちらを投稿します。
ちなみに、胸を痛めたのは、日本が過度の調和を求めるあまり、優秀な人材を排除してしまっているということに対してです。

真鍋さんが記者会見で述べたのは「Harmony:調和」という単語でしたが、私は先の随想で、意訳として「同調」や「同調圧力」と書きました。これは無意識のうちに書いたものですが、今日の話題はそこです。
同調と調和の違いについてと、合氣道の目指す和との関連性です。

同調・同調圧力というのは、すでにこうあるべきだというものが先にあります。そして後からやってきたものがそれから逸脱していると、お前もこうしろ、こうあれと圧力をかけてきます。その圧力はハッキリと言葉で伝えられることもあるし、無言の圧力の場合もあります。そしてその圧に従わない強情さんや、「空気を読めない」などと揶揄されるようなにぶちんさんはその集団から排除されたりいじめられたりするわけです。・・・うっ。嫌なこと思い出した・・・。気を取り直して・・・

対して調和というのは、こうあるべきといものがまずありません。(もちろん、どうしても外せない真理というものはありますでしょうが、それはチンケな「こうあるべき」などという言葉で語れるようなものではありません。)そして、元々あるものと新しいもののどちらもがお互いを認識・尊重し、変化をおこし、もともとのどちらでもない新しいものが生み出されることを言うのです。

合氣道で言われる和というのも、まさにこれです。受けと捕りが出会うことで技が生まれるのです。武産なのです。男と女が出会って新しい生命が生まれるのも、まさに調和です。

これを思えば、真鍋教授が言っていたのはまさに同調圧力のことなのです。本来、日本は和の国だとか、異文化と融合して日本文化は育まれたとか言っている割に、今の日本の空気というのは同調圧ばかりが強いのです。

というような話が頭の中にひらめき、これだ!!と思ったのですが、ふと思えばそれをズバリ言い表す言葉があるではないですか!!!

「和して同ぜず」です。しかもこれを述べたのは、かの孔子先生です。
「子曰く、君子は和して同せず。小人は同して和せず。」
流石です!(何様w

さあこれで今回のノーベル賞の話題から明るく前を向くお話を少年部のみんなにできそうです。来週が楽しみです!