随想「真鍋さんのノーベル賞受賞に感じたこと」

今年もノーベル賞発表の時期となりました。愛媛県新立村(現・四国中央市)出身の真鍋淑郎さんが大気中のCO2濃度上昇が地球温暖化につながることを発見した功績でノーベル物理学賞を受賞されました。

報道をいくつか調べていて,私は日本に縁のある人がノーベル賞を取ったという嬉しさよりも、絶望のような気持ちを大きく感じました。報道から見えてきたのは,「日本にはもうノーベル賞に届くような研究をする環境がないのだ」という厳然たる事実だったからです。

「日本に戻りたくない理由の一つは,私に,周囲に同調して生きる能力がないから」「アメリカでは完全な研究の自由が提供された」「アメリカでは自分の好奇心の赴くままに研究をすることができた」と真鍋さんはインタビューやスピーチで述べていらっしゃいました。それはつまり,「日本は同調圧が強く、周囲へ同調なしには生きていけない」「日本では研究の自由は提供されない」「日本では好奇心の赴くままの研究というのはできない(させてくれない)」ということの言い換えです。

真鍋さんが研究をしていたのは今より数十年前のことです。上の発言もその当時のことを言っているのでしょう。じゃあ,今はそうした環境は改善されているのでしょうか??日本の現役研究者さんたちの発言を見ているととてもそうとは言えない,というか,もっとひどい状態になっているようです。

「お前の研究は後何年で金になるのか?」「本当に(金としての)成果が出るのか?」と国は研究者に問いかけ,研究者のやる気を根こそぎ削ぐ。
研究者に,研究になんの関係もない雑務ばかりを課して研究時間を奪う上に,それをこなさないと研究を干す。

などなど,今の日本では,研究者に研究をさせない方向にばかり環境が進んでいるようです。研究者には研究に没頭してもらうのが人類にとって一番いいはずなのに・・・

そしてこのクソのような状況(おっと、お下品で失礼)は,いろんな筋の調査によって数値的に証明されています。OECD加盟国のなかで学術的プレゼンスが如実に減少しているのは日本だけです。

昨今、「ブルシットジョブ」という言葉が流行りましたが、一番ブルシットジョブに汚染されているのが日本の研究者なのかもしれませんね。(実は日本の大部分がそうなのでしょうけれど・・・)

本来明るいニュースであるノーベル賞受賞の話題。是非とも少年部でも共有したいのですが,一体どう説明すれば少年部のみんなは明るい気持ちになってくれるのでしょう・・・暗澹たる気持ちになりました。

私は,日本に生まれ育った人がノーベル賞を取ったことを騒ぐよりも,どこで生まれ育とうが,「自分のやりたい研究は日本に行けばやれるんだ!」という環境を用意しなければいけないと思うのです。というか,「日本じゃ何もできやしないよ。あの国はもうダメだから。」というのさえ払拭できたら後はどうでもいいと思います。

それには,今の日本の惨状とこれからのディストピア化を憂い,自分にできる範囲でいいから一矢報わんとする気概が我々に必要でしょう。

具体的な手法として私は,『「自分の中の」常識を問い直す』というのをお勧めしますが、それについてはまた機会があれば書きたいと思います。