随想「斬り手」

新型コロナの感染拡大は止まるところを知らず、稽古の再会も目処が立ちません。しかし、こんな時は試行錯誤に花が咲きますから、普段通りに稽古していては気づけないような発見があったりするものです。今日はつい数時間前に発見したことを書き留めておこうと思います。

合氣道では、手刀(てがたなと読む)が大切だとよく言われます。手をふわりと開き、しかし氣の通った手だと言われます。手が日本刀のようになるとも言われたり・・・、まあ表現はいろいろとあります。私も、一体どんな手が望ましいのかな?手刀ってどんなものかな?と考え続けていました。(補足しておきますと、もちろん形はなんとなくわかるのですが、形を真似たところでどうにもならないというのが武術・武道の奥の稽古です。形を習った習わなかったではなく、習った上でさらにその意味を問うというものです。)

昨年秋から古流の剣術を学び始め、素振りをよく自主稽古していました。そして、つい先ほど、故・渡邉信之師範の2011年最終稽古の動画を見ていて、ハッと気づいたのです。

まさに、剣術における斬り手が手刀なんだと。しかも、それは常に保たれるものだと。

形の説明はここでしても意味がないのでしませんが、気づいたことを書き留めておくと、基本中の基本である入身転換において、構えの段階はまず当然斬り手です。そして、転換し終わった時も斬り手なのです。もちろん、転換し終わったときは掌が上を向きますが、それでも斬り手なのです。よくあるように、お椀型や水平にはしません。たなごころが前方を向き、人差し指は前方斜め下向きになります。

もちろん”稽古が達して来れば”手の形は何気ない形や、お椀型、水平型でもいいのでしょうが、それは「斬り手が身についた身体だからこそ」その形でもOKなのです。

斬り手を保って入身転換をしますと、手首は必然的に順体ですので、受けとしては自分の手の中で取りの手が回転するような”イヤな動”きは感じません。押されたり引っ張られたりといった感触もありません。しっかりと取ったはずの手首が全く動く気配がないのに、気がついたら掌が上を向いていて、自分は崩されているという体になります。

どうしても今までのやり方ですと、もたれた手を掻い込む形(正岡師範のおっしゃる、スクープする手)になっていたので、それをいかにクリアするか?という謎が解けた気がしました。まあ、あっけなく撤回する可能性もありますけれど(笑

皆様もよければ是非お試しください。