随想「基本」

何事も「基本が大事」と言われます。「基本ができていなければ応用はできない」とも言われます。
さて、合氣道において基本とは何でしょうか?稽古の際に毎回やっている入り身転換の動作は基本だといわれますね。開祖は「入り身転換さえできればよい」ともおっしゃっていたそうです。また、基本技といえば正面打ち一教・正面打ち入身投げ・逆半身片手取り四方投げの三つが思い浮かびます。どれも大切な基本動作、基本技です。入り身転換ができないのに合気道の技はできないでしょう。基本技ができないのに他の複雑な技もできないでしょう。確かにそうです。
では、ある程度稽古を積んで、いろんな技ができる人たちはみな、これら「基本ができている」のでしょうか?

私は「基本とは極意そのものである」と思っています。極意ですから、それさえできればOKですし、それができれば何だってできるというわけです。「とりあえず覚えてしまいましょうね~」などという感覚では語れないものだと思っています。ですから、日常生活で「基本ができないうちに他のことなんて~」といったような言葉を聞くと、「基本(極意)なんて誰もできてないじゃないか。」と思ってしまうこともあります。ひねくれてますね。

私なぞ、これら基本の難しさに頭を悩ませるばかりです。むしろ、やればやるほどその難しさが際立ち、かえって本質から遠ざかっているのではないかと心配になるくらいです。気が付けば多彩な技の稽古は少なく、基本技の稽古ばかりやっています。

かの千利休が言葉を残しています。
稽古とは、一を習いて十を知り、十より帰るもとのその一。
初めに習った一と、帰ってきた一では次元が違うのです。でも、師はもとよりその次元の高い一を見せてくれていたはずなのです。

精進あるのみですね。